【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

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「アメリカの対日施策を読み解く」(著者:渡辺 惣樹)





目次


  はじめに 日米関係を新たな文脈で読み解く時が来た


Ⅰ日米衝突の謎 15
  日米戦争の知られざる「原点」--フィリピンと対日外交 17
  『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944」を語る 24
  二十世紀初頭のカリフォルニアで始まっていた対日戦争 33
  誰が軍縮の努力を無にしたか 43
  ケネディ駐日大使に望む。両国の不幸な歴史に学んで欲しい 48
  開国から開戦まで、アメリカの変容を追う(「アジア時報」インタビュー) 66
  日清戦争 アメリカはなぜ日本を支持し、朝鮮を見限ったか 91


Ⅱアメリカのロジック 95
  米国内の「慰安婦」騒動を解決する決定的ロジック 97
  「歴史修正主義」と叫ぶレッテル貼り外交との戦い 116
  TPP真の狙いは中国と知財保護 49
  TPP「自由貿易至上主義」は誤解(「正論」インタビュー) 93


Ⅲ ルーズベルト神話 163
  ルーズベルト神話と「ルーズヴェルト・ゲーム」 165
  知られざる国家機密漏洩事件――ルーズベルトとチャーチルの密約 184
  日米開戦・民事訴訟なら「ルーズベルトは有罪」(「正論」インタビュー) 202
  大統領の嘘に対する怒りと悔恨 29
  局地戦を拡大させた大統領の得意な性格 224
  なぜ戦後アメリカはルーズベルト批判を許さないのか 229


Ⅳ 干渉主義外交の代償 237
  ベトナム戦争終結、建国二百年、「世界の警察官」への疑義 239
  岸信介はなぜ“安保反対”に怯まなかったのか 247
  ヒラリー・クリントンを悩ますもう一つのスキャンダル 255
  干渉主義外交(ヒラリー外交)は修正されるか 268
  ドル覇権に挑むプーチンの資源戦略 280


  あとがき 劣勢に向かうアポロジスト(釈明史観主義者)の歴史観 285  



歴史修正主義史観


東京大空襲や原爆によって一般国民が惨殺されたにもかかわらず、「原爆投下は日本に敗戦を決意させたから悪いことではなかっ。」「日本が最初にアメリカに戦争を仕掛けたのだから自業自得だ。」という考えの日本国民もいます。




学校でも「日本が悪かった」と教えられ、南京大虐殺問題や従軍慰安婦問題などでも日本が攻められています。


しかしながら、それらが占領期のアメリカや、その後それを利用した中国・韓国などによるプロパガンダだということを暴く資料や書籍が現在は沢山出てきています。


本書もその一つ。 著者が多くの資料を読み込み研究した結果の歴史観が歪められた近現代史を正します。


これまでの東京裁判史観からすれば、近代歴史や教科書内容を正すことは、歴史修正主義史観とのレッテルが貼りつけられます。





本書はそんな揶揄を跳ね返す資料と推論で アメリカの対日政策をテーマとして各紙に発表された論考や著者が訳した著作等をまとめたものであり、「対日政策」を読み解くための入門書です。



「歴史修正主義」のレッテル貼り


「歴史修正主義史観」に関心のある読者には必読の論考です。


とうのは本書では、アメリカの主張に異論と唱えたときに必ず返ってくる「歴史修正主義」のレッテル貼りに対して、どのような反論のロジックが真に有効なのか、優れた洞察が示されているからです。


「論争」には、「論争の方法」があり、相手が納得せざるを得ないロジックで立ち向かわぬ限り、イーブン以上の戦いをすることは不可能。


このことを著者は、「証拠の比較衡量基準(証拠の優越基準)」と「合理的な疑いのない証明基準」という二つの概念を使って解説しています。
(アメリカでは、前者は「民事裁判」に、後者は「刑事裁判」に用いられる基準でもあります。)


  「歴史的事件」についてその真実を追究するときに、我々は、無意識のうちにも様々な直接的・間接的証拠を求め、証言を吟味し、全体を俯瞰したり、細部を洗い出し、真実を確かめようとします。


これが「証拠の比較衡量」によって歴史的真実を求めていく方法です。



◆歴史修正主義
歴史学において歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、英: Historical revisionism)とは、歴史的な記述の再解釈を示すもの。これは通常、歴史的な出来事や時間軸、現象について専門の学者が持つオーソドックスな(確立された・受け入れられた・伝統的な)見解に挑戦することや、その見解とは反対の見解を示す証拠を紹介すること、関係者の動機や決定を再解釈したりすることを含む。歴史的記録の修正は、事実・証拠・解釈の新たな発見を反映することができ、その結果、歴史が修正される。劇的なケースでは、歴史修正主義は古い道徳的判断を覆すことを伴う。


基本的なレベルでは、正当な歴史の修正は、歴史の記述を発展させ、洗練させるための一般的なプロセスであり、特に議論を呼ぶものではない。それよりもはるかに物議を醸すのは、道徳的知見の逆転であり、主流の歴史家が(例えば)正の力と捉えていたものが負の力として描かれることである。このような修正主義は、以前の見解の支持者から(特に激しい言葉で)異議を唱えられ、そして以下のような不適切な方法を伴う場合には、否認主義として知られる違法な形の歴史修正主義となる可能性がある。


・真正文書に対してありえない不信感を抱くことや、偽書・偽造文書を用いること。
・書物や資料に対して誤った結論を与えること。
・統計データの不正な操作。
・テキストを意図的に誤訳する。





証拠の比較衡量


例として「パリ講和会議での『ウイルソンの十四箇条』は、一見、理想主義的だが、実際の適用を見れば欺瞞的で、場当たり的で、到底称揚されるようなものではない。」・・・こんなふうに語るとき、人は無意識に「証拠の比較衡量」をしています。


十四か条の平和原則(じゅうよんかじょうのへいわげんそく、英: Fourteen Points)は、1918年1月8日、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが、アメリカ連邦議会での演説のなかで発表した平和原則。



これは、我々が日常生活においても或る何かについて考察するときでも、いつでも使っている思考作用の一つです。



「合理的な疑いのない証明基準」


  例えば、ピューリッツァー賞を貰ったアメリカの著名なノンフィクション作家のジョン・トーランド。




彼は、「真珠湾攻撃」(1982 徳岡孝夫訳)を書き、日本に最初の一撃を撃たせようとしたFDRとその国務省スタッフの「陰謀」を暴きました。






この書物自体は、説得力ある書物で、当時、日本でも広く読まれました。しかしながら、トーランドは、ある論争の場で、「合理的な疑いのない証明基準」を突きつけられて、その場で失神してしまいました。


FDRがもし有罪なら、全ての点で間違いなく完璧に、その有罪性が証明されなければならなりません。当時、アメリカが日本に対して積極的に「経済戦争」を仕掛けて最初の一撃を撃たせようとしていたことが事実であったとしても、それがなぜ「真珠湾攻撃」になるのでしょうか。


日本はインドネシアの油田を目指すだけではないのでしょうか。日英戦争は起こるだろうが、日米戦争になると断言することはできません。また、FDRの真の目的が欧州戦線への参戦なら、対日政策は手詰まりにしておくだけの時間稼ぎでよかったののではないでしょうか。どちらにしても「合理的な疑いがない基準」で明白に証明されなくてはならなりません。トーランドは、その細かな様々な可能性を突かれて、精神的にまいってしまったのです。




  一般的にある国の外交政策、軍事的政策レベルにおいて、この「合理的な疑いのない証明基準」を満たすことは不可能です。
戦後、戦勝国にそれができたのは、文字通り「戦勝国」だからであり、敗戦に打ちのめされている敵国に対してその立場として「戦勝国のプロパガンダ」で裁くことが可能だったからです。


「戦勝国のプロパガンダ・対日本版」


しかしながら、この基準を、「南京大虐殺」や「慰安婦問題」に適用すれば、どういうことになるでしょうか。






この二つは、アメリカが「戦勝国のプロパガンダ・対日本版」で必要とするものです。





言論レベルでは、そのような主張は絶えず繰り返され、しばらく忘れることがあっても、日本を牽制したいときは間欠泉のように湧き出てきます。戦勝国は日本を貶めることが目的で書くので「証拠の比較衡量」レベルで詳細で合理的な論争に挑んでも、それを受け入れられることはないと思われます。


しかしながら、言論レベルだけではなく、日本に対して「謝罪」や「賠償」を求めたり、大使館前や公園に「慰安婦少女像の設置」をしたり、公共の博物館での「南京大虐殺」展示をしたりすることは全く別な問題です。




  「謝罪」や「賠償」を求めたりするなら、その事件について「明白で、合理的な疑いのない証明基準」が満たされなければなりません。それがアメリカのルールのはずであり、そのように強く主張することが必要なのだと著者はこの本で主張しています。



合理的な疑いのない証明


 今まで「慰安婦問題」では「河野談話」がそのためのツールとして使われ、現在も一部では用いられようとしています。しかしながら、以前に比べると、「韓国の嘘」がより明瞭になり、「河野談話」の性格も安倍政権の「検証」によって「事実認識」ではなく、事前に韓国側と打ち合わされた「政治的妥協」であったことが知られてきています。「河野談話」だけでは「合理的な疑いのない証明基準」にはならなりません。



  もし、ニーアル・ファーガソンのように「南京大虐殺」が事実だといい、日本に「賠償を求めるのが正当だ」と主張するなら、アイリス・チャンの「レイプオブ南京」程度の「証拠」ではなく、「合理的な疑いのない証明」を完璧にしなければなりません。それができないなら、「あなたの個人的見解」レベルに過ぎません。





「合理的な疑いのない証明」は、アメリカが彼らが「歴史修正主義」と非難するものに対していつもやっていることです。だから、反論できないはずである。



 著者はアメリカで幾つかの民事訴訟を経験していますのでアメリカ人との議論の作法に精通しています。この本に書かれている著者の洞察は極めて示唆的です。





【渡辺惣樹】『裏切られた自由』翻訳者が明かす“大戦の真実” - 戦前のナチスドイツは良い国と言われていた!? ~日本再興戦略 歴史修正論「日米衝突の根源」編|藤井厳喜×渡辺惣樹





本書のP48~「ケネディ駐日大使に望む。両国の不幸な歴史に学んで欲しい」の中に、
「玉泉寺」について書かれています。(P50)


幕末、開国の舞台となった「玉泉寺(ぎょくせんじ)」


瑞龍山玉泉寺は、真言宗の草庵であったのを、天正の初め(1580年代)開山一嶺俊栄大和尚の来錫によって曹洞宗に改宗され、現在に及ぶこと440年の歴史を有する古刹であります。


嘉永7年(1854年)3月、日米和親条約の締結、同年5月の付録13ヶ条の締結により、当寺は米国黒船乗員の休息所・埋葬所に指定されました。その2年後、安政3年(1856年)タウンゼンド・ハリス総領事、通訳官ヒュースケンが下田に着任し、同年8月玉泉寺を日本最初の米国総領事館として開設しました。境内に星条旗が掲揚され、以来2年10カ月、玉泉寺は幕末開国史の中心舞台となりました。





モーゲンソープラン


「知られざる国家機密漏洩事件――ルーズベルトとチャーチルの密約」、この章で、当時米国財務次官であったヘンリー・モーゲンソーが出てきます。


この本には書かれていませんが、「モーゲンソープラン」というものがあります。



モーゲンソー・プラン(Morgenthau Plan)は、第二次世界大戦中に立案されたドイツ占領計画の一つ。


二度の世界大戦において同盟国(中央同盟国・枢軸国)の中心的存在であったドイツから、戦争を起こす能力を未来永劫奪うため、過酷な手法を用いる懲罰的な計画であった。本来の提案では、計画は以下の3つの段階からなっていた。


ドイツを2つの国家(北ドイツと南ドイツ)に分割する。
ドイツの主要な鉱工業地帯であるザールラント、ルール地方、上シレジア(シュレジエン)は国際管理の下に置くか、近隣国家に割譲する。
ドイツの重工業は、その全てを解体あるいは破壊する。
アメリカ合衆国財務長官でユダヤ系アメリカ人のヘンリー・モーゲンソーによって立案されたことから、この名で呼ばれることになった。


モーゲンソー・プランではドイツを南北に分割するほか、西部に国際管理地域を設けることになっていた。灰色の部分は、フランス・ポーランド・ソ連に割譲される区域。



第二次大戦下の米国では、ユダヤ系アメリカ人のヘンリー・モーゲンソー・ジュニアが財務長官を務めました。彼は反ユダヤ人政策をとるヒトラー政権を嫌っており、ドイツ民族をこの世から抹消したいと考えていました。




戦後ドイツの占領方針作成に財務長官のモーゲンソーの意見が取り入れられ、当初作成されていたプランよりもずっと厳しいドイツに対する占領計画(モーゲンソー・プラン)が出来上がりました。この原案は、ハル・ノートを作成したユダヤ系でソビエト共産党のスパイでもあったハリー・デキスター・ホワイトが起草しました。


モーゲンソー・プランはドイツの工業力を削ぎ落とし、農業国家に変えてしまうもので、戦後ドイツの機械類は接収や廃棄されました。


産業がストップしたことでドイツは飢饉に陥り、5年間で900万人以上が死んだと言われています。この数はホロコーストの死者数を上回っています。



第二次世界大戦アメリカの敗北 米国を操ったソビエトスパイ (文春新書)


第1章 モーゲンソープランの非道
第2章 ソビエトに最も貢献したスパイ
第3章 アルジャー・ヒス ヤルタ会談の黒幕にして国連を作った男
第4章 露見したスパイ網
第5章 ルーズベルト・トルーマン体制の破綻
第6章 ワシントン議会が暴いたソビエトスパイ
終章 「戦勝国」アメリカの敗北


戦後体制を形づくった重要な場面でソビエトスパイが果たした決定的な役割とは。チャーチル、トルーマンが認めざるを得なかった「敗北」とは。ふたりのソビエトスパイの行状に焦点を当てながら、近現代史の再叙述を試みる。