【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

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「4000年前から現代までのパレスチナの歴史」 3つの宗教 "The History of Palestine from 4,000 Years Ago to the Present: Three Religions"

「4000年前から現代までのパレスチナの歴史」 3つの宗教

4000年以上も前から続く戦争


現在、起きているイスラエルとハマスの軍事衝突、このパレスチナで起きている争いは
ここ数10年、数100年の話ではありません。


"A War Spanning Over 4,000 Years


The ongoing military conflict between Israel and Hamas in the present day is not a recent development confined to the past few decades or centuries within the region of Palestine."




3つの宗教「4000年前から現代までのパレスチナの歴史」No.1 (No.2へ続く)#ユダヤ教 #キリスト教 #イスラム教 #bible #パレスチナ #イスラエル



3つの宗教「4000年前から現代までのパレスチナの歴史」No.2 *No.1からの続きです  #ユダヤ教 #キリスト教 #イスラム教 #bible #パレスチナ #イスラエル




その争いの種は、実は4000年以上も前にあります。現在進行系で起きているパレスチナ問題を4000年前から遡って分かりやすく説明致します。


"The roots of this conflict actually trace back over 4,000 years. I will now provide a clear and concise explanation, tracing the ongoing issue in Palestine from ancient times to the present day."





ユダヤ教キリスト教イスラム教の3つの宗教


まず、パレスチナ問題を知る上で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教について知らなければなりません。


"In order to understand the issue of Palestine, it is essential to have knowledge about the three major religions: Judaism, Christianity, and Islam."







今から約4000年前ペルシャ湾の近くのウルと言われる地域には現在のユダヤ人の祖先が住んでいました。


"Approximately 4,000 years ago, in a region near the Persian Gulf known as Ur, ancestors of the present-day Jewish people were said to have lived."




紀元前2700年頃には、下流域にウル、ウルク、ラガシュなど多くの都市国家が形成された。( イラクの歴史)


"Around 2700 BCE, several city-states such as Ur, Uruk, and Lagash were established in the Lower Mesopotamian region, marking a significant period in the history of Iraq."





旧約聖書に出てくるアブラハムという人物が、「アブラハムよ、カナンへ行け」という声を神から聞きます。カナンとは、現在のパレスチナのことで、この声を聞いたアブラハムはウルに住むユダヤ人を導き、多くのユダヤ人がパレスチナの地に移動しました。


"The figure of Abraham, as mentioned in the Old Testament, hears a voice from God saying, 'Abraham, go to Canaan.' Canaan refers to the present-day Palestine. Upon hearing this voice, Abraham guides the Jewish people residing in Ur, and many Jews subsequently migrate to the land of Palestine."




しかし、紀元前17世紀頃になると、パレスチナに移動したユダヤ人は災厄に見舞われてエジプトに移動することを決意します。多くのユダヤ人がエジプトに移動することになります。


However, around the 17th century BCE, the Jewish people who had migrated to Palestine faced adversity and decided to move to Egypt. This led to a significant migration of many Jews to Egypt.






しかし、もちろんエジプトにはファラオを中心とする都市などがあり、エジプトに移動したユダヤ人はその都市建設などのために奴隷として扱われることになります。


However, upon arriving in Egypt, the Jewish migrants found themselves subjected to the role of slaves, contributing to the construction of cities and other projects under the central authority of Pharaoh and the Egyptian leadership.





こうしてユダヤ人は約400年にわたり、エジプトで奴隷としてひどい扱いを受けることになりました。


Thus, the Jewish people endured approximately 400 years of harsh treatment as slaves in Egypt.



救世主モーセ


しかし、ここで救世主が現れます。それがモーセです。モーセは大量のユダヤ人を引き連れてエジプトを脱出。この脱出の際にモーセは海を2つに割って道を作ったという有名な話があります。その後、紀元前1000年頃になると、ユダヤ人はパレスチナの地にイスラエル王国という国家を誕生させます。


However, at this juncture, a savior emerges – Moses. Leading a large group of Jewish people, Moses orchestrates the exodus from Egypt. A famous tale recounts how, during this escape, Moses miraculously parts the sea to create a path. Subsequently, around 1000 BCE, the Jewish people establish the Kingdom of Israel in the land of Palestine.




しかし、数百年が経つと王国は南北に分裂することになります。分裂した後、北の国家はアッシリアに滅ぼされ、南の国家は新バビロニアに負け、



大量のユダヤ人は捕虜としてバビロンに連れて行かれることになります。これを「バビロン捕囚」と呼びます。


However, after several centuries, the kingdom experiences a division into northern and southern regions. Following the split, the northern kingdom falls to the Assyrians, while the southern kingdom succumbs to the Neo-Babylonians. As a consequence, a significant number of Jews are taken captive and deported to Babylon, a period known as the 'Babylonian Captivity.





その後、新バビロニアが滅び、ユダヤ人はパレスチナに戻ることになります。



しかし、その後のパレスチナはプトレマイオス朝エジプトに支配されたり、セレウコス朝シリアに支配されたり、ローマ帝国によって支配されたりします。こうしてユダヤ人は数百年間、外国によって支配されることになりました。


Subsequently, with the fall of Neo-Babylon, the Jewish people are able to return to Palestine. However, in the aftermath, Palestine undergoes periods of rule by the Ptolemaic dynasty of Egypt, the Seleucid dynasty of Syria, and eventually succumbs to Roman imperial control. Thus, for several centuries, the Jewish people find themselves under the dominion of foreign powers.




そして、次第にユダヤ人はなぜ我々はこんなに苦しんでいるのに神は助けてくれないのだろうか、きっと神から与えられた決まりをきちっと守ってないからだと考えるようになりました。


Gradually, the Jewish people began to ponder why, despite enduring so much suffering, God seemed not to come to their aid. Many started to believe that perhaps it was because they were not adhering strictly to the laws given by God




そして、旧約聖書に書いてある立法を厳密に解釈して非常に厳しいルールのもとで生活をしていくようになります。


And thus, they began to interpret the legislation written in the Old Testament with utmost precision, adopting an extremely strict way of life under the stringent rules outlined in the scriptures.



(注意)ユダヤ教徒にとって新約聖書は聖書ではありません。妄想を書いた文書にすぎないので、新約とか旧約とかいいません。


(Note: For Jewish believers, the New Testament is not considered a part of the Bible. It is viewed as a document containing fantasies, and terms like 'New Testament' or 'Old Testament' are not used.)





イエス・キリストのキリスト教


しかし、これに異を唱えた人物がいます。それがイエス・キリストです。


However, there was an individual who challenged this approach, and that person was Jesus Christ.




イエスは元々ユダヤ教徒だったわけですが、律法に厳しくなるユダヤ教に対してそんな律法にこだわらず、「もっと神を信じ、もっと神の愛を信じなさい」と説きました。これがキリスト教の始まりです。


Although Jesus was originally a Jew, he diverged from the increasingly rigid interpretations of the law within Judaism. He preached a message of focusing less on strict adherence to the law and more on 'believing in God, embracing God's love.' This marked the beginning of Christianity.




しかし、イエスの考えはユダヤ教の指導者にとっては邪魔であったため、イエスは神を冒涜した罪で訴えられ、その後張り付けにされてしまいます。


However, Jesus' ideas proved to be inconvenient for the leaders of Judaism. Consequently, he was accused of blasphemy against God and eventually crucified.




この事件によって、ユダヤ人はイエスを殺した民族として、世界中のキリスト教徒から恨まれることになります。当時のパレスチナはローマによって支配されていたわけですが、このローマの支配に対して、西暦66年と132年の2度にわってユダヤ人は反乱を起こします。


As a result of this event, Jews became vilified worldwide among Christians as the people who had killed Jesus. During that period, Palestine was under Roman rule, and in response to this Roman dominance, the Jewish people staged two uprisings in 66 AD and 132 AD.





ユダヤ人の長いディアスポラ(離散)の始まり


しかし、当時最強の国家であったローマ帝国にユダヤ人が勝てるはずもなく、完璧にやられてしまいます。


The onset of the long diaspora of the Jewish people


However, it was impossible for the Jewish people to prevail against the then-mightiest nation, the Roman Empire, and they were thoroughly defeated.




そして、この戦いの後、ユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁止されたり、ローマに奴隷として売られたりするなどして、パレスチナの地からローマ帝国や中東などに散り散りになっていくことになります。これがユダヤ人の長いディアスポラ(離散)の始まりです。


Subsequently, following this battle, the Jews faced prohibitions from entering Jerusalem, were sold as slaves in Rome, and were scattered across the Roman Empire and the Middle East, marking the beginning of the extensive diaspora of the Jewish people from the land of Palestine.



この後、ユダヤ人は1948年のイスラエル建国まで、ユダヤ人による国家を持つことができず、迫害と放浪の生活を約1900年間続けることになります。


Following this period, the Jewish people endured approximately 1900 years of persecution and a nomadic existence until the establishment of the State of Israel in 1948, which allowed them to have their own nation.




ムハンマドからの啓示を受けたイスラム教


そして、ここから少し時代が進み、610年になるとアラビア半島のメッカでムハンマドという人物が神アラーからの啓示を受けてイスラム教を始めます。



このイスラム教の勢力はどんどん拡大していき、中東の地域のほとんどはイスラム教の支配下に入ることになりました。そして、パレスチナもイスラム勢力によって占領されることになります。




エルサレムについて


さて、ここでパレスチナ問題の争点の一つであるエルサレムについて説明をしておきます。エルサレムはパレスチナ地域の中にある都市のことで、この都市はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教の聖地となっています。




エルサレムはユダヤ教にとっては昔、シンボルとなる神殿があった場所であり、キリスト教にとっては、イエスが十字架にかけられ処刑された場所であり、イスラム教にとってはムハンマドが天に昇ったとされる場所です。こういった事情があり、エルサレムは三宗教の聖地となっており、歴史的に度々その土地を巡って争いが起きてきたのです。


そして、11世紀にエルサレムを巡ってキリスト教とイスラム教の争いが行われることになります。元々エルサレムはキリスト教国家である東ローマ帝国によって占領されていましたが、どんどん勢力を拡大していったイスラム勢力によってエルサレムは奪われることになります。これに危を感じた東ローマ皇帝はローマ教皇に助けを求めます。




十字軍


ローマ教皇はキリスト様が十字架にかけられた場所が不幸な異教都市によって占領されている不潔な異教都市から聖地を取り返すのだと言い、エルサレムに軍隊を派遣します。この軍隊のことを十字軍と呼びます。




十字軍とイスラム勢力の戦いは何度も行われましたが、結局十字軍は大した成果も得られず、エルサレムを奪還することはできませんでした。この十字軍の時代にキリスト教世界には異教都市であるイスラム教と同時にユダヤ教も汚れだから浄化しようとする反ユダヤ主義が定着することになります。




ユダヤ人の金融業


ユダヤ教徒はより一層差別されることになっていき、ゲットーと呼ばれるユダヤ人の居住区に隔離されたり、不当な罪で死刑にされたりします。



この時、ユダヤ人は職業も制限されており、キリスト教文化圏では卑しい仕事と考えられていた金融業をユダヤ人が行うことになっていきます。




しかし、当時の世界では金融業の重要性が知られておらず、金融業を行うことになったユダヤ人はその後、キリスト教文化圏とも驚くほどの富を手に入れていきます。




その中でもロスチャイルド家などがあります。その後も大学などにも行けるようになったユダヤ人は必死に勉強をして、あらゆる分野で大活躍するようになっていきます。 




フランス革命


十字軍が終わり世界は大航海時代なども経てどんどん発展していくことになります。




そして、18世紀末にヨーロッパの大国フランスで世界を揺らす大事件がが起きます。それがフランス革命です。王様の支配に不満を持った市民たちが氾濫を起こし、当時の王様と王妃を処刑したのです。




このフランス革命の中で人権宣言というものがなされます。この人権宣言によって、信仰の自由が認められ、「キリスト教徒であろうとユダヤ教徒であろうと、平等でありどこに住んでもいいし、どんな仕事についてもいい」とされました。





人権宣言は、その後ヨーロッパ中に広がっていきユダヤ人はこれで差されることはなくなると思ってヨーロッパの世界に同化する努力をしていきました。


その後、。イギリスで産業革命が起きると大量の資金が求められるようになり金融業を行っていたユダヤ人たちは一気に大量の富を得ていくことになります。





その1つに、ロスチャイルド家などがありますその後も大学などにも行けるように
なったユダヤ人は必死に勉強をしてあらゆる分野で大活躍するようになって
いきます。





しかし、これが次第に妬みへと変わっていき、新たな反ユダヤ主義が広がっていくことになります。






そんな中、1894年にユダヤ人を絶望させる事件が起きます。それがドレフュス事件です。ユダヤ教徒のフランス人であったドレフュスという人物がスパイの容疑で島流しにされてしまいます。しかし、この容疑は反ユダヤ主義の人たちが立ち上げた事件であることが後から分かります。





シオニズム運動


この事件以降、ユダヤ人は人権宣言がなされても結局「私たちは差別から逃げられないんだ。差別を受けずに平和に暮らすには、自分たちの国家を作るしかない」と考えるようになりました。そして、ユダヤ人の故郷であるパレスチナで、「ユダヤ人によるユダヤ人のための国家建設」をしようとする運動が生まれます。



これを「シオニズム運動」と呼びます。




20世紀に入ると、ユダヤ人たちは本格的にパレスチナへの入植を開始します。



しかし、この頃のパレスティナにはイスラム教徒のアラブ人が大量に住んでおり、故郷であるパレスチナに国家を作りたいユダヤ人と、すでにパレスチナに住んでいるアラブ人の争いが今後起きていくことになります。




そんな中、世界ではヨーロッパを中心に「第1次世界対戦」が始まります。第1次世界対戦でイギリスは戦いを有利に進めるために、パレスチナを巡るずるい外交を行います。パレスチナに国家を作りたいユダヤ人には協力してくれたら、パレスチナにユダヤ人によるユダヤの国家作りを手伝うと言い、パレスチナに住んでいたアラブ人には協力してくれたら、アラブ人の国家の建設を手伝うと言います。




さらに、フランスとロシアにはパレスチナを共同で統治しようと言います。この矛盾した外交を「三枚舌外交」と呼びます。この外交によって、ユダヤ人とアラブはどちらもパレスチナは自分のものだという主張を根拠を持って言うようになっていきました。



イギリスがパレスチナを管理


第一次世界大戦が終わると、結局パレスチナはイギリスが管理することになり、その管理の下でユダヤ人がパレスチナに入ることが許可されます。



世界中のユダヤ人はパレスチナの地をどんどん買い占めていき、ユダヤ人の国家づくりは着々と進んでいきました。




しかし、もちろんパレスチナに住んでいたアラブ人たちはこれに反発し、ユダヤ人とアラブ人の対立が明確になっていきました。








その後、ドイツではヒトラー率いるナチスが政権を掌握し、ドイツ人が優越民族であることを強調するためにユダヤ人を劣等民族として迫害を行います。




ナチスによるユダヤ人の大量虐殺が行われ始めると、危機を感じたヨーロッパに住む大量のユダヤ人がどんどんパレスチナへ逃げていくことになります。





そして、迫害から逃れるためにユダヤ人によるユダヤ人のための国家を作ろうとする気持ちが一層強くなっていきました。



テオドール・ヘルツルは近代シオニスト運動の創始者。1896年に出版した小冊子『ユダヤ人国家(Der Judenstaat)』において、彼は20世紀中に将来の独立したユダヤ人国家を建国することを構想した。




イスラエルの建国


その後、第2次世界大戦が終結すると、ユダヤ人が大量に虐殺されたことが世界中に知れ渡り、少しずつ国際世論はユダヤ人にユダヤ人の国家を作ってあげるべきだという考えに変わっていきます。



また、当時のアメリカには約450万人のユダヤ人が住んでおり、社会的地位が高い人物も多かったため、アメリカは政治的にそれを無視することはできませんでした。





そして、1947年に国連によってパレスチナ分割案が採択されます。この分割案によって、ユダヤ人はパレスチナの56.5%の土地を獲得し、逆にパレスチナに住むアラブ人はそれだけの領土を失うことになりました。




そして、その翌年にシオニストグループのリーダーであったベングリオンが、ユダヤ人の国家イスラエルの建国を宣言します。イスラエルの建国が宣言されると、すぐにアメリカのトルーマン大統領はイスラエルを国家として承認しました。



第1次中東戦争


しかし、突然領土の半分以上を奪われたパレスチナに住むアラブ人はそれを受け入れることはできません。アラブ人は激怒し1948年にアラブ人とユダヤ人の戦争が始まることになりますこれが第1次中東戦争です。




第1次中東戦争にはパレスチナ周辺のアラブ系国家であるエジプト、シリア、レバノン、トランスヨルダン、イラクのご家国も参戦しイスラエルに進行します。


出来たてホヤホヤだったイスラエルはそこまで軍隊が整っておらず、アラブ系国家の総攻撃に耐えられるはずもありませんでした。




しかし、イギリスの介入により1ヶ月の停戦が認められ、全世界の第2次世界大戦を軍人として戦い抜いたユダヤ人がイスラエルに集まり、イスラエルは突如として強大な軍事力を手に入れます。





停戦が終了し戦いが再開すると、イスラエルがどんどん巻き返し、結果的に第1次中東戦争はイスラエルの勝利に終わります。イスラエルは第1次中東戦争に勝利したことで、さらに領土を広げていきました。





第2次中東戦争


しかし、これで戦いが終わるわけではなく、1956年に次は第2次中東戦争が始まります。




第2次中東戦争のきっかけは、エジプトの大統領のナセルがスエズ運河を国有化すると宣言したことにありました。




スエズ運河とはアフリカ大陸を回らずにヨーロッパとアジアを繋げることを可能にする重要な運河のことです。



このスエズ運河は当時イギリスが管理していたわけですが、ナセル大統領はスエズ運河を国有化して利益を上げようとしたのです。




これにはイギリスも焦りを覚えます。イギリスはフランスとイスラエルに協力を要請してエジプトに攻撃を仕掛けます。





戦いはイギリス、フランス、イスラエル軍の優勢に進み、エジプトは敗北します。しかし、このイギリスたちの侵略戦争だとして国際的に非難を受け、撤退を余儀なくされてしまいます。




第2次中東戦争の後は国連軍が監視を行っていたため、中東地域は比較的穏やかな状態でした。



しかし、この時世界は冷戦の中で、ソ連はアメリカよりのイスラエルを倒せば中東での影響力を高められると考えます。




そして、ソ連はイスラエルが戦争の準備をしているという情報をエジプトに流します。しかし、それは全くの嘘の情報でした。それを間に受けてしまったエジプトの大統領のナセルはイスラエルに対抗するためにイスラエルにとって大切な海峡を封鎖します。






第3次中東戦争


これに反発したイスラエルは、1967年にエジプトに攻撃を開始します。ここから始まるのが第3次中東戦争です。イスラエルは奇襲攻撃を行い、たった6日間でエジプト軍を壊滅へと追い込みました。




これはイスラエルの完璧な勝利となりました。この戦争の後、イスラエルはシナイ半島や東エルサレムを手に入れ、領土を今までの約4倍にまで広げました。






その後、エジプト大統領のナセルが心臓麻痺で亡くなると、サダトという人物がエジプト大統領に就きました。サダトは奪われた領土を取り返すためにイスラエルに交渉を仕掛けます。





しかし、イスラエル(ゴルダ・メイヤ首相)は、1mm足りとも領土を変換しないという姿勢を見せます。領土を取り返すためにエジプトに残された方法は戦争しかありませんでした。





第4次中東戦争


エジプトはシリアに協力を要請して1973年に挟み撃ちで一気にイスラエルに攻撃を仕掛けます。これによって第4次中東戦争が始まります。







エジプトとシリアの挟み撃ち作戦は成功し、どんどんイスラエルを追い込んでいきます。しかし、少しずつ大勢を整えていったイスラエルも反撃を開始します。これまでの戦争で全て勝利してきたイスラエルの軍隊の力は凄まじく、どんどんエジプトは追い込まれていくことになります。




その後、アメリカがこの戦争を仲介したことで、イスラエルとエジプトの間で定戦協定が結ばれることになります。4度の戦争でイスラエルに勝てなかったサダト大統領は、イスラエルの力を認め、イスラエルにまで行き交渉によって領土を取り返そうとします。




しかし、当時のイスラエルの首相であったベギンは交渉に全く乗らず、領土を変換する姿勢を一切見せませんでした。この交渉をうまく進めるためには仲介者が必要でした。


イスラエルの首相であったベギン




アメリカ大統領のカーター


そしてその役を担ったのがアメリカ大統領のカーターでした。





カーターはエジプトとイスラエルの交渉をうまく回し、12日間の話し合いの末に、


1.エジプトがイスラエルを国家として認めること、
2.国交を持つ代わりにイスラエルはシナイ半島をエジプトに変換すること、
3.ガザ地区とヨルダン川西岸地区の行政実施権をパレスチナに認めること、


などの合意に達しました。



しかし、この合意は元々パレスチナ全土を持っていたパレスチナ人にとっては、そのうちの少しの領土の行政自治が認められただけであり、全く満足の行くものではありませんでした。



「インティファーダ」


1987年にイスラエルの軍隊のトラックがガザ地区で交通事故を起こして、パレスチナ人4人を殺してしまいます。これに起こった18歳のパレスチナ人がイスラエル軍に石を投げつけました。これに対してイスラエル軍は無常にも発砲し、その青年を殺してしまいます。



この事件がきっかけで、パレスチナの子供や若者たちがイスラエル兵に石を投げるという抗議運動が起きることになります。この抗議運動のことを「インティファーダ」と呼びます。





石を投げてくる若者に対してイスラエルの兵士たちは殴ったり大量に拘束したりして事を収めようとしました。しかし、丸越の子供や若者たちをイスラエル兵が殴ったりしている映像が世界中に流されることになり、国際世論はパレスチナに対して同情するようになります。




パレスチナ解放機構(通称PLO)


そしてここで、パレスチナのアラブ人による解放を目指す武装組織であるパレスチナ解放機構(通称PLO)が動きます。





PLOの議長であったアラファトは国連に行って、次のように宣言します。「我々はイスラエルの生存を認め、今後いかなるテロ行為も放棄することをここに公式に宣言する。」




この宣言の後、ノルウェーのオスロでイスラエル首相のラビンとPLOのアラファトの間で合意が成立します。


このオスロ合意とその後の協定によって、行政自治だけが認められていた


が認められ、その他の問題の話し合いも今後進めていくことが決定されました。





その後、イスラエルの首相となったバラクはパレスチナとの和平に意欲的で、ガザ地区の全てとヨルダン川は、西岸の92%をパレスチナに変換し、異常したり、エルサレムの旧市街の分割統治を認めようとしました。




しかし、このバラクの和平案はイスラエル国内では受け入れられず、頓挫し、厳しい批判に合うことになります。



その後、バラクは下ろされて、和平反対派のシャロンが首相になります。






過激派武装組織のハマス


パレスチナに好戦的な態度を取るシャロンに対して、過激派武装組織のハマスなどが一層イスラエルに対してテロ行為を行っていくことになります。




なかなか止められないパレスチナのテロ行為に対して、シャロンはテロリストをイスラエルに入れないために、パレスチナ自粛であったヨルダン側西岸地区にコンクリートの壁の建設を始めます。しかし、この壁の建設には国際世論が厳しく、イスラエルを批判します。





国際世論を落ち着かせるために、2004年にシャロン首相は、これまで暫定区としていたガザ地区をパレスチナに変換することを発表し、その翌年に軍隊を撤退させてガザ地区をパレスチナ自治政府に変換しました。これはイスラエルとパレスチナの和平の第1歩目かと思われましたが、現実は真逆に行くことになります。





ハマスがガザ地区を統治


シャロンによるガザ地区の変換をパレスチナ人たちは、「武力闘争の勝利だ!」と受け止めてしまい、武力闘争を行っていた過激派組織ハマスに指示が集まり、ハマスがガザ地区を統治するようになります。




これによって一層パレスチナ側は戦闘的になり、その後もイスラエルはテロリストの侵入を防ぐために壁の建設を進め、ガザ地区の方にも壁の建設を行うようになります。




しかし、壁を作ってもガザを支配するハマスはロケットを使ってイスラエルに度々攻撃を仕掛けます。これに対して、2008年にイスラエルは大規模な空爆を返し、女性子供問わずに多くの人々がこの攻撃によって亡くなってしまうことになりました。




その後も度々イスラエルとガザの衝突は起きており、現在はそれが発展して戦争状態になってしまっています。




パレスチナ問題はこれまで見てきたように、長い歴史や宗教政治などが絡み合って起きており、非常に解決が難しい状態になっています。