【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto                                   

https://www.facebook.com/sakamoto.kazuyoshi.1

西山事件(にしやまじけん)/ 映画「密約」 外務省機密漏洩事件(沖縄密約事件)

西山事件(にしやまじけん)/ 映画「密約」 外務省機密漏洩事件(沖縄密約事件)

西山事件(にしやまじけん)とは?


西山事件(にしやまじけん)は、1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件。別名、沖縄密約事件(おきなわみつやくじけん)、外務省機密漏洩事件(がいむしょうきみつろうえいじけん)。



第3次佐藤内閣当時、リチャード・ニクソンアメリカ合衆国大統領との沖縄返還協定に際し、公式発表では、アメリカ合衆国連邦政府が支払うことになっていた、地権者に対する土地原状回復費400万米ドルを、実際には日本国政府が肩代わりして、アメリカ合衆国に支払うという密約をしているとの情報を掴み、毎日新聞社政治部記者の西山太吉が、日本社会党議員に情報を漏洩した。


日本国政府は密約を否定。東京地検特捜部は、西山が情報目当てに既婚の外務省事務官に近づき、酒を飲ませ泥酔させた上で性交渉を結んだとして、情報源の事務官を国家公務員法(機密漏洩の罪)、西山を国家公務員法(教唆の罪)で逮捕した。これにより、報道の自由を盾に、取材活動の正当性を主張していた毎日新聞は、かえって世論から一斉に倫理的非難を浴びることになった。


起訴理由が「国家機密の漏洩行為」であるため、審理は当然にその手段である機密資料の入手方法に終始し、密約の真相究明は東京地検側からは行われなかった。西山が逮捕され、社会的に注目される中、密約自体の追及は完全に色褪せてしまった。また、取材で得た情報を自社の報道媒体で報道する前に、国会議員に当該情報を提供し国会における政府追及材料とさせたこと、情報源の秘匿が不完全だったため、情報提供者の逮捕を招いたこともジャーナリズム上問題となった。



"西山事件"から見た秘密保護法案





西山事件(にしやまじけん)の映画「密約」 外務省機密漏洩事件




浮上した密約 400万ドル肩代わり


 1964(昭和39)年に首相となった佐藤栄作氏は、米国に統治されていた沖縄の返還を、政治課題に掲げます。「祖国復帰が実現しない限り、戦後は終わらない」。71年6月、沖縄返還協定が調印されました。


 返還まで2カ月を切った72年3月27日。国会の衆院予算委員会が大きく揺れます。社会党の衆院議員だった横路孝弘氏が、外務省の機密電文のコピーを手に、政府を追及したのです。米国が負担するはずの400万ドル(当時のレートで約12億円)を、日本が肩代わりする密約が存在するという内容でした。


 400万ドルは、米軍が軍用などで占有していた土地を元の田畑などに戻すための費用。「原状回復補償費」と呼ばれ、返還協定で「米国が自発的に払う」とされていました。政府は密約の存在を否定する一方で、機密電文がどこから漏れたのか「犯人捜し」を始めます。


 電文のコピーは、外務省の女性事務官から、毎日新聞の政治部記者だった西山太吉氏に、西山氏から横路氏に流れていました。



世論は反発 起訴で一転スキャンダルに


 事務官と西山氏は4月4日、警視庁に逮捕されます。容疑は共に国家公務員法違反。事務官は「職務上知ることのできた秘密の漏洩」、西山氏は「漏洩のそそのかし」というものでした。


 毎日新聞は翌日の朝刊1面で「正当な取材活動 権力介入は言論への挑戦」と訴えます。密約を暴こうとした記者の逮捕に、世論も反発しました。


 ところが逮捕から11日後。東京地検の起訴状に盛り込まれた一文が、流れを変えました。「ひそかに情を通じ、秘密文書を持ち出させた」。週刊誌やテレビは、夫のいる事務官と妻子ある新聞記者のスキャンダルとして報じました。


 懲戒免職となった事務官は一審で、懲役6カ月執行猶予1年の有罪判決を受け、控訴せずに確定。西山氏は一審で無罪判決を受けた後に依願退職しましたが、二審は懲役4カ月執行猶予1年の逆転判決。78年、最高裁で有罪が確定しました。


 西山氏は故郷の北九州に戻り、青果会社で仕事をしました。取り巻く状況が変化したのは、2000年代になってからでした。



米公文書に密約の裏付け 法廷闘争へ




 00年5月29日。朝日新聞の朝刊1面に、特ダネが載ります。原状回復補償費の肩代わり密約などの存在が、米公文書で裏付けられたという内容でした=下の画像。02年にも密約に関する米公文書が見つかりましたが、国は密約を否定し続けます。西山氏は05年、「不当な起訴などで名誉を傷つけられた」として、国に損害賠償と謝罪を求める訴えを起こしました。


 07年、東京地裁は訴えを棄却。「仮に不法行為が成立するとしても、20年以上が経過していて、賠償請求権は既に消滅している」。08年、最高裁で西山氏の敗訴が確定しました。



続く情報公開訴訟 裁判所が密約を認定


 闘いは続きました。09年、ジャーナリストや学者たちが、密約文書の開示を国に求める訴えを起こします。西山氏も原告に名を連ねました。


 訴訟には沖縄返還交渉にあたった元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が証人として出廷。密約文書に署名したと証言しました。


 一審判決を前にした10年3月、当時の岡田克也外相が指示した調査で、ついに密約が認められます。外務省の有識者委員会が、原状回復補償費の肩代わりはあったと認め、「広義の密約に該当する」としたのです。西山氏の逮捕から、38年が経っていました。


 10年4月の東京地裁判決も密約の存在を認定。国に文書の開示を命じます。しかし国は「徹底的に調査したが、文書は見つからなかった」と控訴しました。


 11年9月、東京高裁も密約文書が存在したと認めますが、「文書は見つからなかった」という国の主張を認め、一審判決を取り消しました。原告側は文書の開示を求め、最高裁に上告しています。





取材源の秘匿 目的外使用の禁止


 入手した機密電文のコピーをどう扱うか。西山氏は40年前、記者としてギリギリの判断をしたと思われます。しかし結果的に、国家権力につけ入る隙をあたえ、取材源である女性事務官を守れませんでした。国家権力の欺瞞(ぎまん)をつく「沖縄密約事件」となるはずが、「外務省機密漏洩事件」とすり替えられてしまったのです。


 今年改定された朝日新聞の報道指針「事件の取材と報道」は、「取材源の秘匿」と「取材で得た情報の目的外使用の禁止」について、以下のように記しています。


 不正を追及された組織は、誰が情報提供したか「犯人捜し」をする可能性があるとした上で、「特定された場合に当人が甚大な不利益を被ることが考えられる。情報提供者をいかに守るかは、報道機関の信用にかかわる問題だ。読者の信頼を得て報道機関の使命を果たすため、取材源の秘匿は、守るべき基本ルールである」。


 また、「報道目的以外で使えば、取材された人はもちろん、読者にも不信を招き、報道機関への信頼を傷つける」として、取材結果を報道目的以外で使用することを禁じています。


 実は機密電文のコピーを入手した西山氏は逮捕の10カ月前、毎日新聞の朝刊3面で、電文の存在には触れずに疑惑に関する解説記事を書いていました。しかし、政府を追いつめることはできず、電文のコピーを横路議員に流したのです。機密電文の存在を、新聞紙上で直接報じる道はなかったのでしょうか。


 05年5月27日号の「週刊朝日」で、西山氏は次のように語っています。


 「電信文が紙面に出れば、私の取材源に目が向けられ、責められたら耐えられないかもしれないと想定した。最終的に社会党に提供したのも悩んだ末、最善ではないけど、国民に知らせるためのやむを得ない次善の策と判断したんです。」


 機密電文を紙面で直接報じていたら、どうなっていたのか。記者と外務省事務官に男女関係がなかったら、横路氏が電文の存在を国会で公にしなかったら……。歴史に「もし」はありませんが、逮捕から何十年もたった今でも、国家権力の壁や取材・報道の在り方、権力監視の意義について考えさせられる事件です。