【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

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【赤穂神社 】(あかほじんじゃ)奈良県奈良市高畑町1320

【赤穂神社 】(あかほじんじゃ)奈良県奈良市高畑町1320



奈良県奈良市高畑町に位置するのは、式内社です。


当社の創建や由緒については、詳細はわかっておりません。


『日本書紀』によれば、天武天皇七年(678年)四月十四日に「十市皇女」(天武天皇の皇女であり、大友皇子の妃)が赤穂に葬られたという記述があります。また、天武天皇十一年(682年)には「氷上夫人」(天武天皇の皇后)も同じく赤穂に葬られたとされています。赤穂という場所については諸説ありますが、当地であるという説が有力です。


現在の当社は「天児屋根命」を祀っていますが、以前は「高貴な姫君を祀る」とも伝えられていたようです。女性守護の神として崇拝されており、先述の『日本書紀』の記述との関連性も指摘されています。


実際に当社の近く、新薬師寺の南東隅には「比売塚」と呼ばれる塚があります。これは十市皇女の墳墓とされ、昭和五十五年(1980年)には十市皇女を祀る「比売神社」が建てられました。


かつては当社の敷地は広大で、近隣には大鳥居があり、桜の名所としても知られ、「桜田」という地名も存在したと言われています。しかし、明治時代以降、周囲の春日大社の社家町と共に大きく荒廃しました。


その後、当社は再建され、天満宮と弁財天を合祀し、昭和五年(1930年)には当地の産土神である「鏡神社」の別宮となったと伝えられています。


一方、式内社である「赤穂神社」については、平安時代末期の春日若宮神社の記録(春日若宮神主・中臣蔵房の註進状)に、春日大社の摂社である「紀伊神社」として合祀されていたことを示唆する記述があります。『大和志料』などの資料からは、当社が式内社であることを疑問視する意見もあります。


かつては大規模な神社だったとされる当社も、現在では非常に小さな神社になっており、昔の様子をしのぶことも難しくなっています。これがまた、当社の由緒を解明するのを困難にしている要因となっています。


廃れ行く社家町の中で、地味に祀られている当社は、どこか寂しさを感じさせますが、同時に後世に伝えていく力強さも感じられます。




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