【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

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【日米開戦の人種的側面アメリカの反省1944】 マックウィリアムス,カレイ【著】〈McWilliams,Carey〉渡辺 惣樹【訳】

【日米開戦の人種的側面アメリカの反省1944】




目 次
1章 カリフォルニアの特異性
2章 カリフォルニア州の対日戦争―一九〇〇年‐一九四一年
3章 西海岸の日本人
4章 西海岸からのエクソダス
5章 退去と強制収容
6章 ひとつのアメリカ
7章 日本人に対する偏見の成り立ち
8章 未来に向けて
終章 一九四四年、アメリカの反省



『日米衝突の根源 1858−1908』

この本【日米開戦の人種的側面アメリカの反省1944】は『日米衝突の根源 1858−1908』(草思社)の後編と訳書と言えるかもしれません。




しかしながら、この本は日米開戦に至る経緯を書いたものではなく、著者は、真珠湾攻撃後の日本人強制収容の経緯を詳細に描き、この強制収容の背景には、アメリカ白人種の持つ激しい偏見の歴史があったことを解き明かします。


著者は日本との戦争は、すでに1900年前後に勃発していたと分析しています。それが次第に拡大して国家間の戦いへと変質していくさまを描いています。著者のマックウィリアムスは1938年からカリフォルニア州の移民・住宅局長として同州の移民受け入れ政策の担当者をつ務めました。


1942年に日本人強制収容政策を進める新知事によって解任されました。


驚くべきことはこの本はまだ日米が戦争中の1944年に出版されているということです。



著者:カレイ・マックウィリアムス

この本は、日露戦争前の1900年から始まったカリフォルニアでのアメリカ白人の黄色人種日本人に対する人種差別、日本人排斥の事実をカリフォルニア州移民・住宅局長を努めたカレイ・マックウィリアムスが大戦中の1944年に執筆しました。





反日運動に集約

大陸横断鉄道が完成すると、その建設に従事した支那人は排斥され、支那人移民排斥法が成立した(1882年)。元来、東洋人排斥であったところ、1898年に米国がハワイを併合すると、ハワイから日本人がカリフェルニアに移住し、日本移民が増加するに連れて、反日本人運動に集約されました。



サンフランシスコの日本移民の隔離政策


1900年にサンフランシスコ市長は、日本移民の隔離を行いました。市長は「日本人はアメリカ社会に同化できず、低賃金労働を厭わずアメリカ人労働者の生活水準を低下させ、アメリカ人にはとても受け入れない生活水準を喜んで甘受し、アメリカの民主主義を理解できない」と主張した。




また、サンフランシスコの新聞は、アジア人労働者にみられる貧困と犯罪の連鎖、公立学校に通う黄色人種は悪魔、白人女性を脅かす日本人、アジア人職人が白人から職を奪う、日本人移民はスパイとプロパガンダを展開します。


サンフランシスコを訪問した二人の東京帝国大学教授は白人から暴行を受けましたが、新聞の論調は暴行は当然として白人を擁護しました。


下院の軍事問題委員会委員長は、日本はロシアに勝利すれば、フィリピンを狙い、アメリカに戦争を仕掛けてくると述べています。


また、日本人は生物学的にも文化的にも白人とは全く異なる人種である、白人は日本人に対してえもいわれぬ恐怖感を持っていたとしています。1906年10月には、日本人学童の隔離が行われています。このような人種差別は、南北戦争終了後(1865年)の奴隷解放後であっても黒人隔離政策を遂行する南部政治家に支持されていました。



白人文化に馴染む努力をする日本移民


しかしながら、実際には、日本移民は白人文化に馴染もうとし、宗教的な習慣も白人風に変えており、日本人に対する偏見の中にあって、白人と友好的な関係を築こうと努力していました。


日本移民は、他の移民人種と全く異なり、犯罪を犯さず、貧しくとも借金を踏み倒すことはありませんでした。


ヘレン・ミアーズ氏は、「日本人はその土地の人々と見分けがつかないくらい同化している。それは日本人が生来持っている集団としてまとまる能力と組織に対する高い忠誠心の賜物である。」と述べています。
(第3章 西海岸の日本人)


また、ロバート・パーク博士は、「日本人移民は、他の人種グループに比べてこの国への順応が早い。日本人に向けられた偏見を克服し、この国での地位を確かなものにしようと妥協を重ねたのが日本人である。彼らほど見事にオーガナイズされた人種グループはなかったし、彼らは懸命に不慣れな環境に習慣を合わせていこうとした。我々が好むと好まざるにかかわらず、それは厳然とした事実である。」と述べています。



しかしながら、1913年1月には、白人が開発できなかった荒れた未開地を開墾した勤勉な日本移民は、農産物を効率良く生産します。日本移民の農地獲得を阻止するために、市民権を持つことのできない外国人に対して農地所有を禁止する法案が成立しました。



米国全土での反日運動へ


当時、市民権を得ることができる者は、「自由な白人」とされていました。日本移民の排斥から、次第に、反日本に転化し、米国全土での反日運動へと展開していきます。


日本は、紳士協定により毎年の移民数を制限しましたが、1924年、遂に全面的排日移民法が成立します。前年には、日本人は帰化不能と最高裁判所が判断し、日本人のみが排斥されることになりました。そして、最後に、開戦後には、日本移民は隔離されることになりました。


排日を訴える米上院議員の選挙ポスター
*菊花紋章をつけた日本軍人がカリフォルニア侵略を狙っているというプロパガンダ。


大東亜戦争前に既に始まっていた戦争


1900年前後から日本とカリフォルニアとの間では既に戦争は始まっていました。


日本人に対する人種差別による排日が米国全土に拡大し、遂に、1941年12月8日の開戦に至至ります。開戦理由は幾つか存在しますが、この人種差別が大きな一因であったことに誤りはないでしょう。




現代の日本人は、日露戦争前から、米国が日本人に対していわれなき人種差別を行ってきた事実、第一次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)において、日本が国際連盟規約に人種平等の原則を規定することを主張した事実を知らないのです。
(しかしながら、この主張は米国ウイルソン大統領主導の英米豪の結託により拒否されます。)


この本は、大東亜戦争に至った一因を理解するには、必須の書であると思います。戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、それを疑わないできた日本人、特に、政治家、評論家、ジャーナリスト、学者などは必読すべき本かもしれません。








マックウィリアムス,カレイ[マックウィリアムス,カレイ][McWilliams,Carey]


1905‐80年。米国の法律家。コロラド州生まれ。南カリフォルニア大学で法律を学んだ後、弁護士資格を取得。38‐42年、カリフォルニア州移民・住宅局長。49年に出版したNorth from Mexicoでは、メキシコ移民(チカノ)問題を分析。終生、政治家やジャーナリズムが犯しやすいデマゴギーへの警戒を訴え続けた


渡辺惣樹[ワタナベソウキ]翻訳者


日米近現代史研究家。1954年生まれ。静岡県下田市出身。77年、東京大学経済学部卒業。米国・カナダで30年にわたりビジネスに従事。カナダ・バンクーバー在住



著者の渡辺さんが当方の事務所(阪本研究所)にお越し頂き打合せをした際に頂いたサイン👇






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