【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

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【世界史を狂わせた女たち】著者:渡辺 惣樹 第二次大戦のスパイと、共産主義と寝たレディの物語

~第二次大戦のスパイと、共産主義と寝たレディの物語~





共産主義者をサポートしたルーズベルト大統領の妻。アメリカの要人を手玉に取ったチャーチル首相の娘。


第二次世界大戦時の謀略に加担した女たちの真実を掘り起こす。


現実の社会はセオリーどおりには動かない。
人間の好き嫌いや思いつきで、間違った方向によく動く。


◇アメリカ大統領の妻、エレノア・ルーズベルト
◇イギリス首相の娘、サラ・チャーチル
◇中国・毛沢東のお気に入り、アンナ・ストロング
暗号解読、親ソ世論の形成、軍事戦略の立案!
歴史を変えた濃厚なハニートラップ!


■一章 ベティ・パック:007が頼りにしたスパイ


□二章 エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーン


■三章 エレノア・ルーズベルト:赤いファーストレディ(第五列の女王)


□四章 チャーチルの米国参戦工作の裏方となった二人の娘


    :サラ・チャーチルとパメラ・チャーチルのハニートラップ


五章 中国共産党に尽くした二人の女
    :アグネス・スメドレーとアンナ・ストロング


□六章 カナダを赤く染めた女:マーガレット・トルドー


■七章 エリゼベス(エリゼ)・フリードマン:暗号解読の女王





*本書の中で、同著者の「アメリカの敗北」からよく引用されています👇





感 想

読んだ後、個人的には四章と五章が興味深い内容に感じました。





四章について。。


ウィンストンチャーチルの娘


特に第四章の「サラチャーチル」については興味深い内容です。


サラチャーチルはイギリスの女優、ダンサー、ウィンストンチャーチルの娘でした。彼女は、1951年のミュージカルコメディ映画「ロイヤルウェディング」でのアンアシュモンドの描写で最もよく知られています。


また、「第二次世界大戦」中の写真通訳として「女性補助空軍」(WAAF)も務めました。チャーチルはまた、彼女の生涯を通じて多くの平版印刷を作成することで知られています。 1970年代に、彼女は父親のウィンストンチャーチルの一連の肖像画を思いつきました。


 1981年の自伝「Keep on Dancing」で、彼女はアルコール中毒と、それがどのようにして彼女を問題に陥らせたのかについて書きました。サラ・チャーチルは、3か月間の急性の内的状態に苦しんだ後、1​​982年9月24日に亡くなりました。彼女の死体はイギリスのオックスフォードシャー州ウッドストック近くの「セントマーチン教会」に埋葬されました。




ウィンストン・チャーチル


サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル KG, OM, CH, TD, PC, DL, FRS, Hon. RA (英語: Sir Winston Leonard Spencer Churchill、1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家、陸軍軍人、作家。







参考書籍👇 
著者フーバーが書いたこの本には、チャーチルに関する記述が多く載っています。



五章について。。。


アグネス・スメドレー



アグネス・スメドレー(英語: Agnes Smedley, 1892年2月23日 - 1950年5月6日)は、アメリカ合衆国の女性ジャーナリスト。


中国大陸の近代事情、特に中国共産党に関する著作で知られる。第一次世界大戦においてはインドの英国による植民地支配からの独立運動の活動家として、ドイツ政府からの経済援助を受けながらアメリカ国内で活動し、世界革命論を促進するコミンテルン(第三インターナショナル)のために共に長期間活動していた。


スメドレーは1892年にアメリカ合衆国ミズーリ州のオスグッドで農家の5人兄妹の1人として生まれた。10歳の頃に一家でコロラド州へ移住し、学校へと通いながら家計を助けるために働いていた。彼女は正規の教育を受ける機会はなかったが、学習に対する興味は失わなかった。1911年から1912年にかけて、スメドレーはアリゾナ州テンピの師範学校で特待生として修学した。学内では学生新聞の編集といった課外活動もしていた。


その後、スメドレーはアーネスト・ブラディン(Ernest Brudin)と結婚し、カリフォルニア州へと移住した。この地で社会主義の思想に触れた彼女は、6年後に離婚するとニューヨークへと向かった。ニューヨークではマーガレット・サンガーと共にBirth Control Review誌で働いている。インド人の共産主義者ヴィレンドラナート・チャットパディヤーヤ(英語版)と関係を深めると、彼とともにドイツへ渡った。1929年には初の自伝を書き上げている。


チャットパディアと分かれたスメドレーは次なる興味の目標を中国大陸へと定め中華民国の上海へ向かった。上海ではソビエト連邦のスパイであったゾルゲと親密に親交し、ゾルゲ事件の日本での判決では「ゾルゲに尾崎秀実を紹介した」とされた。




ゾルゲ事件(ゾルゲじけん)は、コミンテルン本部の指令で 来日したリヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実や、この事件で有罪となり廃嫡となった西園寺公一らもいた。


大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前の1941年9月27日の北林の逮捕を皮切りに、特別高等警察に事件関係者が順次拘束・逮捕された。10月10日には、ゾルゲの自宅には日本語教師という名目で、また、大阪朝日新聞の元社員で近衛内閣嘱託の尾崎秀実の自宅には娘の絵の教師として出入りし、両者の連絡役をおこなっていた宮城が麻布区龍土町の下宿先で逮捕され、築地警察署に連行される。この際に行われた家宅捜査で数多くの証拠品が見つかり、事件の重要性が認識された。





アンナ・ルイーズ・ストロング


アンナ・ルイーズ・ストロング (Anna Louise Strong , 1885年11月24日 – 1970年3月29日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト。ネブラスカ州生まれ。


ソビエト連邦や中華人民共和国への取材で良く知られている。中国の毛沢東と親交を結び、1970年に移住先の北京で死去した。名前は日本語では「アンナ・ルイス・ストロング」とも表記される。






気候変動を発明した男 - モーリス・ストロング




地球温暖化CO2悪玉説を拡散したアンナ・ストロングの甥


・・・・だからこそ京都議定書策定プロセスで中国を開発途上国に分類し、30年まで削減義務を負わせてなかった。中国共産党が彼を歓迎したことは言うまでもない。ストロングは米国の訴追を逃れながら故国カナダに戻り、2015年11月オタワで死去した。
彼の亡くなった年、パリ協定が締結された。この協定でも中国は2030年まで二酸化炭素削減の義務はない。(P192より抜粋)



気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書(きこうへんどうにかんするこくさいれんごうわくぐみじょうやくのきょうとぎていしょ、英: Kyoto Protocol to the United Nations Framework Convention on Climate Change)は、1997年(平成9年)12月に京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)で同月11日に採択された、気候変動枠組条約に関する議定書である。通称は、京都議定書(英: Kyoto Protocol)
地球温暖化の原因となる、温室効果ガスの一種である二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、ハイドロフルオロカーボン類、パーフルオロカーボン類、六フッ化硫黄について、1990年(平成2年)を基準として各国別に先進国における削減率を定め、共同で約束期間内に目標値を達成することが定められた。





・・・日本人は、コンビニエンスストアやスーパーマーケットではレジ袋の購入を強いられる。この不便さも、モーリスが国連組織を利用して構築した壮大なほら話(地球温暖化CO2悪玉説)の「成果」である。そしてまた、モーリスの「活躍」は、毛沢東に愛され、文化大革命を礼賛した愚かなるアンナ・ストロングが彼に伝えたDNAに負っているのである。(P194より抜粋)







「共産主義者は国際組織を乗っ取るのが得意」 ご参考ブログ記事👇
第二次世界大戦 アメリカの敗北 米国を操ったソビエトスパイ - KAZU4000






著者:渡辺 惣樹


渡辺 惣樹(わたなべ そうき、1954年 - )は、日本近現代史研究家。ソーワトレーディング代表。日本開国から太平洋戦争開戦までの日米関係史を研究し、著作を発表している。『日米衝突の萌芽 1898-1918』により第22回山本七平賞奨励賞を受賞した。