【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

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原題:FREEDOM BETRAYED『裏切られた自由』:Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath)①

『裏切られた自由』(原題FREEDOM BETRAYED:Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath)は、第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(任期1929~33)が20年の歳月をかけて第二次世界大戦の過程を検証した回顧録。


 スターリンと手を組んだルーズベルト大統領を「自由への裏切り」と批判した本書は、アメリカでも完成後、半世紀の長きにわたって公開されませんでしたが、2011年にフーバー研究所から刊行されました。


 国家の意思決定の仕組みを熟知し、同時にさまざまな機密情報にもアクセスできた元大統領が、同時代の政治指導者としての使命感から精魂をかたむけて世界大戦の実情を記録した本です。



原書は1300頁を超える大著で、日本語版(渡辺惣樹(わたなべ・そうき)訳)では上・下巻に分割しての刊行になっています。上巻(本書)には開戦前の国際情勢の分析から1944年までが、下巻にはヤルタ会談以降の状況と補足資料が収録されています。




◆備 考
フーバーの「回顧録」の部分と「アメリカ外交史」が混在したものになっています。


また、歴史研究家が定義する「一次資料」「二次資料」といものがあります。


一次資料:筆者自身がある事件の証人であるか、又は、その事件に実際に関与していたことを記してあるもの。


二次資料:記述してあることに筆者が直接関わってないもの。


『裏切られた自由』は、上記2つの資料が混在しています。






 真珠湾攻撃にいたる日米関係について関係者の証言をまじえて分析し、日米戦争はルーズベルトの欺瞞に満ちた外交によって引き起こされた、と結論づけています。また著者(渡辺氏)は、大戦中に各地で行なわれた首脳会談について詳細に記録しています。戦後世界の枠組みを決めることになる会談の裏でどのようなせめぎ合いがあったのか。首脳外交の現場を熟知した著者ならではの分析には説得力があります。


 本書の膨大な記述は、従来の歴史認識に根本的な見直しを迫るものです。


特筆しておきたいのは、フーバーは決して日本びいきの政治家ではなかったという点です。日本人に必読の一冊です。





原題:FREEDOM BETRAYEDの構成


英文(原文)はVolume1から3(第1章から85章)で構成されています。翻訳された『裏切られた自由』とは完全一致しません。


英文22ページの「The Background: Franklin Roosevelt's Lost Statesmanship」から読むことをお勧めします。ここには、全体のまとめ的な背景が書かれています。



個人的にはざっくりと下記のことが書かれていると感じました。



●米国政府に浸透する共産思想(主義)について


●ヒトラーについて


●米国が干渉外交に変化した経緯について


●中国・ソ連の動向を見ながら米国はドイツと日本に対してどのように戦争をするように刺激させたかについて


●日本への原爆投下後のポツダム宣言について


●関係資料




関係者紹介


◆著者


ハーバート・フーバー(Herbert Hoover)
1874年アイオワ生まれ。スタンフォード大学卒業後、鉱山事業で成功をおさめ、ハーディング大統領、クーリッジ大統領の下で商務長官を歴任、1929年~1933年米国大統領(第31代)。人道主義者として知られ、母校スタンフォードにフーバー研究所を創設。1964年死去。


◆編者
ジョージ・H・ナッシュ(George H. Nash)
歴史家。ハーバード大学で歴史学博士号取得。2008年リチャード・M・ウィーヴァー賞受賞(学術論文部門)。フーバー研究の第一人者として知られる。著者に“Herbert Hoover and Stanford University”他。


◆訳者
渡辺惣樹(わたなべ・そうき)
日本近現代史研究家。北米在住。1954年静岡県下田市出身。77年東京大学経済学部卒業。30年にわたり米国・カナダでビジネスに従事。米英史料を広く渉猟し、日本開国以来の日米関係を新たな視点でとらえた著作が高く評価される。


著書に『日本開国』『日米衝突の根源1858-1908』『日米衝突の萌芽1898-1918』(第22回山本七平賞奨励賞受賞)『朝鮮開国と日清戦争』『アメリカの対日政策を読み解く』など。訳書にマックファーレン『日本1852』、マックウィリアムス『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』など。



フーバーが書籍「裏切られた自由」で伝えたかったこと

日米戦争はフランクリンルーズベルトが仕掛けたもので、日本の侵略が原因ではなくアメリカは日本に原爆を落とす必要はなかった。


ルーズベルト外交によりソビエト共産主義の東アジアへの拡散を防いでいたアジアの強国日本は崩壊し共産主義が世界に広がってしまった。


ルーズベルトは共産主義と戦っていた日本を戦争に巻き込み叩き潰すことに成功しますが、結果として、共産主義を世界に広めることになります。


そのため、東アジアの地域において戦後日本に変わりアメリカがロシアや中国、北朝鮮の共産主義の脅威と対峙しなくてはならなくなります。





カイロ・テヘラン会談


 フーバーは、カイロ・テヘラン会談を重視しています。上巻の第51章から第59章までがその分析に充てられています。戦況はこの一年ほど前から連合国側に優位に進んでいました。その為、議題は戦後の枠組み構想に移っていました。


フーバーは、戦後のありようの骨格がカイロとテヘラン会談で決められたと考えています。だからこそ、「裏切られた自由」の中で最も多く頁を割いています。しかしながら、現実として会談の内容は長期にわたって秘匿されていました。





そもそも「ハーバート・クラーク・フーバー」とは何者?


ハーバート・フーバー


 第三十一代アメリカ大統領ハーバート・クラーク・フーバー。1895年(明治28年)にアイオワ州の貧しい農家に生まれたフーバーは、苦学して大学を卒業し、鉱山技師になりました。敬虔なクエーカー教徒だったフーバーは働き者でした。
世界中の鉱山を渡り歩き、45ヶ国もの国々で働き、フーバーは屈指の世界通となりました。




 鉱山ビジネスで財を成したフーバーは、第一次世界大戦に際会すると慈善事業にのりだします。
ヨーロッパの戦争地域に居住していたアメリカ人の帰国を支援したのです。さらに、イギリス軍の対独港湾封鎖作戦の余波によって食糧不足に陥ったベルギーに大量の食糧を輸送してベルギー国民を飢餓から救いました。


フーバーは私費をなげうち、民間から寄付を募り、すべてを民間事業として推進しました。称賛に値する民間慈善事業でした。これを喜ばなかったのはイギリスです。イギリス政府はフーバーの事業を妨害しようと画策しますが、フーバーは屈せず、民間の力で食糧支援を継続しました。


 フーバーの活躍はウイルソン大統領の目にとまります。ウイルソン大統領はフーバーを食糧庁長官に抜擢しました。フーバーは食糧支援事業を拡大させ、ポーランドやソビエト連邦への食糧支援を実施します。人道援助活動の推進者としてフーバーの名は大いに高まりました。



 この功績が認められ、1921年、フーバーは商務長官に累進します。その後、共和党大統領候補となり、1929年三月、第三十一代アメリカ大統領に選ばれました。アメリカ史上はじめての経済界出身の大統領でした。


 この頃、アメリカは繁栄の絶頂期にありました。資本主義者のいう「神の見えざる手」によって経済成長が保証されているとだれもが信じていました。フーバー政権の船出は順風満帆に見えました。

アダムスミス 国富論 「神の見えざる手」



 これが暗転したのは突然です。フーバーが大統領に就任して間もない10月、ウォール街の株式市場で株価の大暴落が発生し、アメリカ経済が大混乱に陥っていきます。この余波は世界へ広がり、世界恐慌となります。





 財政均衡論者だったフーバー大統領の経済対策は、その初動において対応を誤りました。緊縮政策をとったのです。このためアメリカの経済規模が縮小し、失業者が巷にあふれるようになりました。過ちに気づいたフーバー政権は、財政均衡原則をかなぐりすて、失業者を救済するために財政出動を拡大させ、大規模な公共事業を実施するようになりました。それでも経済はなかなか好転しませんでした。


 フーバー政権が財政赤字を拡大させたことを政敵たちは見逃さず、政権批判の材料にしました。なかでも民主党のフランクリン・ルーズベルトは、フーバー政権の財政赤字拡大をきびしく非難して世間の注目を集めました。




 フーバーが再選を目指した大統領選挙はきびしい戦いとなりました。深刻な不況下での選挙に勝つのは不可能と言えるでしょう。フーバー大統領は苦杯をなめます。勝利したのは民主党のフランクリン・ルーズベルトでした。フーバーは失意のうちにホワイトハウスを去ります。


 フーバー政権の財政出動と赤字拡大を非難して支持を集めたルーズベルト大統領は、いざ政権の座につくと、そのことを忘れたかのように大々的な財政出動を実施していきます。いわゆる【ニュー・ディール政策】です。




 ルーズベルト大統領は政権中枢に若手の共産主義者や社会主義者をかき集めて政策ブレーンとし、社会主義的政策を推進していきました。


そんなルーズベルト政権を、こんどはフーバーが野党の立場から批判しました。特にソビエト連邦を国家承認してスターリンに接近したルーズベルト大統領の動きにフーバーは警鐘を鳴らしました。伝統的リベラリストだったフーバーは、共産主義や全体主義に警戒感と嫌悪感を持ってたので、ルーズベルト大統領のすすめる容共外交と全体主義的内政をやきもきしながら見守っていたのです。フーバーが懸念したのは、ルーズベルト大統領の対欧州外交と対アジア外交です。ルーズベルト政権は欧州や極東の情勢に過剰に干渉していました。


 フーバー政権の外交政策は不干渉主義でした。ヨーロッパにも極東にもあまり深く介入せず、アメリカの巨大な国力を平和維持の仲裁者として活用するという方針でした。


そんなフーバー政権とは異なり、ルーズベルト大統領の外交政策は欧州とアジアに過剰な介入をし、むしろ紛争を激化させていました。ルーズベルト政権はポーランドやイギリスやフランスを支援してドイツとの対立を煽りました。アジアでは蒋介石を全面的に支援して支那事変を長引かせていました。


その結果、欧州で第二次世界大戦が始まってしまいます。さらにルーズベルト大統領は日本を経済的に圧迫し、ついには日本軍を刺激して「真珠湾奇襲」を惹起させます。これを奇貨としてルーズベルト大統領はアメリカを第二次大戦に参戦させます。




 アメリカ参戦の瞬間から歴史修正主義者としてのフーバーの事業が始まりました。なぜアメリカが参戦することになったのか。アメリカは参戦せず、むしろ戦争の仲介者として振る舞うべきではなかったか。これがフーバーの問題意識でした。



歴史修正主義とは?
歴史学において歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、英: Historical revisionism)とは、歴史的な記述の再解釈を示すもの。これは通常、歴史的な出来事や時間軸、現象について専門の学者が持つオーソドックスな(確立された・受け入れられた・伝統的な)見解に挑戦することや、その見解とは反対の見解を示す証拠を紹介すること、関係者の動機や決定を再解釈したりすることを含む。歴史的記録の修正は、事実・証拠・解釈の新たな発見を反映することができ、その結果、歴史が修正される。劇的なケースでは、歴史修正主義は古い道徳的判断を覆すことを伴う。


 野党議員だったフーバーは、参戦に至るまでの政権中枢の機密に触れることができませんでしたが、入手可能な情報を蓄積して分析し、真相を割り出そうとします。ルーズベルト大統領の演説や声明、ルーズベルト政権が成立させた各種の法律、それに対する世論と各国政府の反応、真珠湾奇襲に関する各種報告書、アメリカ国務省の外交文書、ソビエト共産党の動向など、客観的な資料を収集していきました。


 スタンフォード大学フーバー研究所には戦中から戦後にかけての膨大な歴史的文書が集積され、分類されていきました。アメリカおよび世界各国から23万部以上もの文書が集められました。フーバー自身も活発に動きました。世界各国の要人に会い、その証言を収集したのです。




 収集した資料を読破し、フーバーが研究成果をまとめたのは1963年9月です。アメリカの参戦から20年以上が経過していました。
その原稿には「裏切られた自由」(原題:FREEDOM BETRAYED) というタイトルがつけられました。自由主義者のフーバーから見ると、ルーズベルト大統領の政策はあまりにも容共的であり、全体主義的であり、自由主義への裏切りだったからです。


 せっかく完成した原稿でしたが、フーバーは出版をためらいました。その衝撃的な内容がアメリカ社会に混乱を引き起こすかも知れないと考えたからです。また、フーバーとルーズベルトが互いに政敵だったことから、「単なる誹謗中傷だ」と人々に誤解されることをおそれたのです。


 翌年、フーバーは世を去り、歴史修正の事業はフーバー研究所に託されました。フーバーが晩年の全精力を傾注して執筆した「裏切られた自由」がアメリカで出版されたのは2011年。フーバーが執筆を始めてから実に70年以の時間が経過していました。


 「裏切られた自由」は、ルーズベルトを英雄視してきた戦後アメリカ社会に大きな衝撃をあたえました。戦勝国史観に深甚な疑問を投げかける内容だったからです。


 フーバーの見解によれば、第二次世界大戦とは、ルーズベルトとスターリンが談合して世界を分け合うためのイベントでした。実際、スターリンのソビエト連邦はユーラシア大陸の大半を赤化させ、ルーズベルトのアメリカは世界の海洋覇権を獲得しました。




ルーズベルト大統領は自由と民主主義を守ったわけではありません。ルーズベルト大統領はアメリカの海洋覇権を確立するために独裁者スターリンと談合し、東欧と支那大陸を共産ソビエトに提供したのです。



 



その他


翻訳者 渡辺氏の「裏切られた自由」の下巻を読む前に下記「第二次世界大戦アメリカの敗北」を読まれることをお勧めします。この本は下巻の文章を多く引用されていますので、先に読むと「裏切られた自由」を深く理解できます。







余談ですが、赤狩りや黒人運動家弾圧、盗聴行為などの米国の闇の部分、また、彼が同性愛者だったことに関しては、これらの書籍の趣旨ではないため当然ながら一切記載されておりません。