【阪本研究所】 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto

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戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実 (文春新書) 著者 渡辺 惣樹 / フーバー大統領回想録『裏切られた自由』(訳者 渡辺惣樹)とは(原題 FREEDOM BETRAYED:Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath)

戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実 (文春新書) 著者 渡辺 惣樹


「historical revisionism(歴史修正主義)」


この本は「historical revisionism(歴史修正主義)」の在り方を観点として第一次大戦の開戦から第二次対戦に至る時期の国際政治と戦争の発動経緯を解説しています。



著者から頂いたサイン👇


歴史修正主義とは


歴史修正主義とは米英両国の外交に過ちがなかったのか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観です。


歴史学において歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、英: Historical revisionism)とは、歴史的な記述の再解釈を示すもの。これは通常、歴史的な出来事や時間軸、現象について専門の学者が持つオーソドックスな(確立された・受け入れられた・伝統的な)見解に挑戦することや、その見解とは反対の見解を示す証拠を紹介すること、関係者の動機や決定を再解釈したりすることを含む。歴史的記録の修正は、事実・証拠・解釈の新たな発見を反映することができ、その結果、歴史が修正される。劇的なケースでは、歴史修正主義は古い道徳的判断を覆すことを伴う。



フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)とチャーチルを弁護する歴史家の特徴は、2人にとって不都合な事件や2人の発した言葉を隠すことにあります。



フランクリン・デラノ・ルーズベルト



サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル








歴史は「立体」


歴史とは「立体」ではないでしょうか。世界地図という2次元平面が、時間軸という縦軸に沿って成長し続ける時空間の立体の体系が歴史。


その立体の中で生起した事象間の因果関係の合理的な説明が真の歴史観。過去のある事象を理解する時、必ずその事象が生起したところの3次元座標に身を置いて、過去の歴史立体を俯瞰しなければ、真実の因果関係、真実の歴史は理解できないかもしれません。






ドイツがポーランドに侵攻


この本には、1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻して、第二次世界(欧州)大戦が勃発するまでの正当な歴史修正主義に基づく立体体系を、一次資料に基づき詳細に書かれています。




日本が、1941年12月8日に、何故、大東亜戦争を起こさざるを得なかったかは、著者が本書で書いている第4章以降の「FDR、チャーチル、スターリン、ヒットラーに翻弄された日本」を読むと良くわかります。



チェンバレン英国首相


 この本の著者は、第二次世界(欧州)大戦の原因は、ドイツ領土の必要以上の割譲と莫大な戦争賠償を課したベルサイユ体制の不条理と、チェンバレン英国首相が与えFDRが加担したポーランド独立保障と、これに勇気付けられたポーランドの頑な対独外交と、仲裁すべき立場であるはずのアメリカ大統領FDRの異常なまでの戦争介入の意志にあったとか書いています。


  



 第一次世界大戦がなければ、ドイツを過酷に追い詰めたベルサイユ条約もなく、必然的に第二次世界大戦も起こりませんでした。第一次大戦は大した原因がある訳ではなく、花火のように瞬時に全欧州に拡大しました。




オーストリア皇太子フェルディナントの暗殺


1914年6月28日のオーストリア皇太子フェルディナントの暗殺の責任はひとえにセルビアにある。オーストリアはその責任を追求しましたが、十分な対応をしないためにセルビアに宣戦布告しました。


バルカン半島を狙うロシアがセルビアを支援するため全軍に動員をかけました。オーストリアに加担するドイツはロシア軍の動員を解除することを要請しました、ロシアはこれを拒否しました。そのロシアをドイツに反目するフランスが加担しました。





チャーチル海軍大臣


ドイツはロシアに宣戦布告し、フランスに中立を要求したが、フランスが拒否したのでフランスにも宣戦布告しました。最後に、大陸から離れ戦禍の及ばないイギリスは非干渉で良かったのですが、好戦家チャーチル海軍大臣が対独戦争を強行に主張し、イギリスがロシア・フランス側に付いてドイツに宣戦布告しました。これが1月程度の間に起こりました。





ロシアは共産主義革命


 アメリカは仲裁できる国力を有し、欧州への干渉をする理由がないにもかかわらず、イギリスへの武器供与を続け、ドイツのメキシコへの干渉を口実に、1917年4月6日ドイツに宣戦布告しました。


ロシアは共産主義革命により戦争から離脱し、1918年3月3日にドイツと単独講和し、ポーランド等のロシア領がドイツに割譲されました。





 アメリカの参戦により勝敗は決着しました。終戦後、不正義とも言うべきベルサイユ条約により、ドイツは英仏の兵士の年金まで負担させられ、返済不可能な莫大な戦争補償を課せられ、ドイツ領が削減されました。


その一つが戦後チェコに侵入されたズデーテンラントであり、他の一つがポーランドに編入された、住民の90% がドイツ人であるダンツィヒです。




ヒットラーは、この飛び地のダンツィヒを回廊と共にドイツへ失地回復することをポーランドと交渉したが、英仏とさらにFDRが干渉してポーランドに独立保障を与えたことから、ポーランドが頑なになり平和的解決ができなかった。




ダンツィヒ・グルデン. 自由都市ダンツィヒ (じゆうとしダンツィヒ、 ドイツ語: Freie Stadt Danzig 、 ポーランド語: Wolne Miasto Gdańsk )は ヴェルサイユ条約 によって 第一次世界大戦 後から 第二次世界大戦 中に ナチス・ドイツ 軍に占領されるまでの 戦間期 から第二次世界大戦初期までに存在した現在の グダニスク (ドイツ名ダンツィヒ)に存在した都市国家である。. ダンツィヒ自由都市 や ダンツィヒ自由市 とも表記される。. 自由都市ダンツィヒとその周辺の街や村の主な居住者は、 ドイツ民族 であった。.




蒋介石


 1933年にFDRが大統領に就任すると、ドイツでは経済の疲弊に乗じて熱狂的な国民の支持のもと、オーストリア人のヒットラーが首相に民主的に選任されました。


その後、ドイツは、ロシアでの工業化の技術指導、蒋介石に武器を輸出し軍事指導をするなどにより、ドイツ経済は急速に回復しました。日本は支那事変において実質的にはドイツと戦ったようなものであり、支那事変を解決できなかった原因にドイツの蒋介石への軍事支援がありました。





スターリン


 アメリカは、共産主義革命を世界に拡散するソ連を長年承認しませんでしたが、FDRは大統領に就任するとソ連を容認し、ソ連のスパイや共産主義者を側近に置き、スターリンに対して全くの無警戒というか、むしろハル国務長官と共にスターリンに憧れていました。


チャーチルと共にスターリンに対する認識の甘さが、戦後から現在に至るまでの紛争の原因となっています。日本の北方領土のロシアによる不法占拠の起源もここにあります。




 ドイツは元来日本と同様に共産主義に強く警戒しており、犬猿の仲であったドイツとソ連は、第一次大戦の結果のベルサイユ条約により削減された領土を回復するという唯一の共通目的を有していました。この目的のため、ドイツは、フィンランド、バルト三国の支配をスターリンのソ連に認め、ポーランドを独ソで2分割するという密約をソ連と締結しました。



独ソ不可侵条約


ドイツは、この密約を含む独ソ不可侵条約を1939年8月23日に締結した上で、9月1日にポーランドに侵攻しました。この瞬間に、英仏は利害関係がないにもかかわらず、ドイツに宣戦布告しました。これが、第二次大戦の勃発です。



 ソ連も密約に基づき9月17日にポーランドに侵攻し、続いてバルト三国、フィンランド、東欧地域に侵攻した。しかしながら、ドイツと同じことをしたソ連には英仏は宣戦布告をしませんでした。また、FDRはスターリンを批判もしませんでした。



ニューディール政策


 以後、FDRは、ニューディール政策の失敗から経済を回復するため、中立法を改正して武器を交戦国に輸出し、武器貸与法を成立させてイギリス、支那を支援し、局地戦を拡大させ、参戦の準備をすることになります。米国民は、直接的には国益には関係のなかった欧州での第一次大戦に参戦し多くの米国兵を死傷させたことから、参戦には絶対反対でした。






ヒットラー


 ソ連の東欧への侵攻に我慢のならないヒットラーは、必然とも言うべき、1941年 6月22日にソ連を攻撃しました。スターリン独裁の共産主義国家ソ連を、民主主義を標榜する英米側に追いやりました。これを契機に、FDRはソ連を民主主義国家といい、実質上の米ソ同盟によりソ連を支援し、ファシスト国家対民主主義国家の戦であると戦争目的を慫慂しました。




 日本とドイツは防共協定を締結して共産主義国家ソ連を警戒していましたが、ヒットラーは1939年8月に防共の相手ソ連と不可侵条約を結びました。時の首相平沼は「欧州事情は複雑怪奇なり」と発言し、その事情を予測できなかったことを理由に内閣は瓦解しました。




日ソ中立条約を締結


この後、日本は、英米蘭からの経済圧迫を受け、1940年9月にドイツと軍事同盟を締結し、そのドイツがソ連と不可侵条約を締結していることを受けて、1941年4月13日にソ連と日ソ中立条約を締結しました。しかしながら、そのドイツは1941年6月22日にソ連に宣戦布告しました。日本のインテリジェンスの欠如は情け無いですが、日本はドイツに翻弄されていました。



 ドイツがソ連を連合国側に追いやった事実は、日本が大東亜戦争を起こさざるを得ず、そして、敗戦した大きな原因です。



毛沢東


 本書に記載された歴史体系をもって日本を眺めると荒波に翻弄される日本の姿が浮かびます。


 戦争が終結し、英国は大西洋憲章(英国の植民地維持)に反して全ての植民地を失い、オランダ、フランス、米国も全ての植民地を同様に失い、米国は目的とした大陸での権益を得ることはできませんでした。これに対して、スターリンのソ連が勢力を拡大して共産国が広範に形成され、毛沢東の共産党が満洲と支那本土を支配することになりました。
 



盧溝橋事変


 日本は、混沌とした支那本土においては、共産党や蒋介石国民党により仕掛けられた盧溝橋事変と上海事変の挑発により戦争にずるずると巻き込まれ、日本の真意を理解しない英米の蒋介石への軍事と経済支援により、巻き込まれた戦争の解決ができませんでした。




米国は何の目的で日本に戦争を仕掛けたのであろうか


 米国は何の目的で日本に戦争を仕掛けたのであろうか。結局は、米国は戦争目的を達成しなかった。現在の大半の日本人の有するの歴史観からすると、日本の歴史は昭和20年の終戦を境に断絶しています。




現実の真の歴史は連続しているのであり、日本人は、米国の占領期における洗脳から目覚め、日本人の戦前の行為を自ら一方的に断罪する史観から脱却し、真実の歴史を見つめるべきかもしれません。その手助けとなるのがこの本「戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実」です。




参考本


上述に「FDRは、ニューディール政策の失敗から経済を回復するため・・・」と書きましたが、第二次世界大戦中に立案されたドイツ占領計画の一つに「モーゲンソープラン」があります。


しかしながら、現在の学校教育の中で教科書には書かれていません。
このあたりについて詳しく書かれているのが同著者の「第二次世界大戦アメリカの敗北」です。



モーゲンソー・プラン(Morgenthau Plan)は、第二次世界大戦中に立案されたドイツ占領計画の一つ。


二度の世界大戦において同盟国(中央同盟国・枢軸国)の中心的存在であったドイツから、戦争を起こす能力を未来永劫奪うため、過酷な手法を用いる懲罰的な計画でした。本来の提案では、計画は以下の3つの段階からなっていました。


ドイツを2つの国家(北ドイツと南ドイツ)に分割。


ドイツの主要な鉱工業地帯であるザールラント、ルール地方、上シレジア(シュレジエン)は国際管理の下に置くか、近隣国家に割譲。


ドイツの重工業は、その全てを解体あるいは破壊。


アメリカ合衆国財務長官でユダヤ系アメリカ人のヘンリー・モーゲンソーによって立案されたことから、この名で呼ばれることになりました。







【渡辺惣樹】『裏切られた自由』翻訳者が明かす“大戦の真実” - 戦前のナチスドイツは良い国と言われていた!? ~日本再興戦略 歴史修正論「日米衝突の根源」編|藤井厳喜×渡辺惣樹



「FREEDOM BETRAYED」


原本👇「FREEDOM BETRAYED」













【渡辺惣樹】『裏切られた自由』翻訳者が明かす“大戦の真実” - 戦前のナチスドイツは良い国と言われていた!? ~日本再興戦略 歴史修正論「日米衝突の根源」編|藤井厳喜×渡辺惣樹